DAT山行計画

DAT 4月山行計画案内

4月9日(月) 大山:矢筈谷or三鈷峰北東ルンぜMK OOE
 
4月14日(土) 大山:桃源郷キャンプ MK オープン参加

4月15日(日) 大山:春の恵みを感じる山行 MK オープン参加

4月23日(月) 大山:甲川(予定MK OOE


オープン参加の山行 4/15残雪の桃源郷 6/17甲川キャニオリング 8/14・15甲川キャンプ&沢登り 10/21紅葉の藪漕ぎ矢筈谷&キノコ観察 12/16 初冬期の雪の輝き大山一の沢








2018年1月23日火曜日

2018 大山:雪訓 上宝珠練習ルンゼ 



大山北壁を元谷から眺める
2018.01.22 今年の大山は早くから雪があり、1月は楽しめると思っていた。この朝の大山は、まるで残雪期の様である。あまり雪が降ってないようで、皆が北壁へのモチベーションが上がらないのも仕方ない。しかし、固い雪質が雪訓に適しているため、2月に備えようと山行の内容を変更した。米子から上がると博労座までは雪がなく、南光河原の駐車場も雪がなかった。

ついでに、トイレも建て替えで無くなっている。冬靴でカタンカタンと音を立てながら、大神山神社まで進む。石敷きの参道は階段まで雪がなく、壮麗な社殿の屋根には雪がついていなかった。元谷から上宝珠沢までも雪が締まって歩きやすく、岩肌が見えているところもあった。大屏風岩を下から眺め、登攀装備を着用しOOEとADAがアンザイレンする。私はフリーで上がったり下がったりして助言した。
7ピッチ刻んでルンゼを抜けるとユートピア小屋がすぐそこに見えた。ユートピア小屋で積雪期に寝たことがなかったので、今度行ってみようとか考えながら眺めた。振り返れば、モノトーンのコントラストが効いた北壁が、手招きしているようにも見えた。その姿は美しく、モチベーションも上がってきた。OOEもADAも、雪訓の成果を感じ、しっかり理解できたようだった。帰りは、肩がらみの懸垂下降で降りて、途中から滑落停止訓練をして下まで降りた。寒波の始まりがやってきたようで、私たちのトレースは消えていた。車の中で、反省会をして、次回までにお互いが復習をしてくることを約束して今回の山行を終了した。
みんなおじさんだから、無理しないで楽しくやれればいいと思っているが、今回のような雪訓や北壁登攀は別。大きな声を出し続けて喉が枯れた。
命を預けたり預かったりするわけだから、特に真剣にしないといけない。

2018年1月5日金曜日

2018冬 新春の烏ケ山&BC

左の中心部に尾根を登る3人がいる
2018.01.04
 新年の山行に行くなら、普通は大山なのだろう。だが、新年こそ大山を眺め、思い思いに大山に対峙する思いを募らせるのもよいかと思う。今回はYHも広島から参加してくれた。ゆるい西高東低の空模様は、はっきりしない。時折見せる疑似好天が麓から南方のピークを照らし出してくれた。山頂でもう一度、景色が広がることに期待しながら樹林を進む。スノーシューのOOEを先導にYHが続き、ワカンのADA、山スキーのMK、スプリットボードのYMが新小屋峠のルートを進んでいく。前日に降った新雪が20センチくらい積もっており、ふわふわしながら黙々と上がっていく。先日の大休峠への藪漕ぎスキーツアーとは違い、快適な尾根の登りが続く。BC3回目のYMは慣れない山行でも怯むことなく根性で登ってきてくれた。ボードの滑降は、もう少し積雪が増して藪が少なくなってからのほうが、本領を発揮できるのかもしれない。スキーは、全然問題なくBCが楽しめると思う。PH組のOOEたちは、難所で立ち往生している。あそこはラッセルが大変で、スノーシューでは登れない。ツボ足にしても、腰まで埋まって上がれる気がしない。天候はどんどん崩れていくが、必死に登る姿はかっこよかった。主尾根を乗り越したのを見届けて、パウダースノーをヘボなスキーで降りて行った。ヘボでも上手くなったかのような抜群の雪質で、ふわふわ空中を飛んでいるかのようだった。
雪庇が連なる
YMがしょっぱい雪を噛んでるのをみて、失礼とは思いながらも、極力、明るく笑いかけるようにした。悔しそうな顔が見て取れたが、彼はガッツがあるので、すぐに仕返しされることになるだろう。そのまま、道路までスキーで滑り駐車場に着いた。YMの姿は後方に見えていたが、ザックに板を括り付け、ツボ足で上がるスピードは相当速い。スプリットボードの登りに、何かもう一つコツが必要なのか、スキンの性能を上げるのか、何かはわからないが、彼がそれを使いまわせるようになった時には、相当厳しい山に連れていかれそうで楽しみである。15:00、OOEの先導でADA、YHも疲労感を見せず全員無事に下山し、新年の山行を楽しむことができた。全員がおじさんだが、老眼のその奥にキラキラした少年の輝きを持っている。これからも、DATの仲間の絆を深めていきたい。

2018冬 大休峠夜間雪中行軍

2017.12.30~31
大休峠への夜間雪中行軍は、今回で3回目となった。12月31日はTの祥月命日であり、特別な思いをもってこの山行に臨んだ。大休峠での思い出や思い入れは、それぞれにたくさんあると思うが、私にもある。その思いを、この山行を全うすることで、Tへの感謝の気持ちと、仲間の安全登山を見守っていただきたいという祈りを、捧げさせていただいた。12月30日に私の仕事を終えてから、簡単な鍋料理の具材とシングルモルト、そして雪で割るグレーンウイスキーを一本用意して香取を出発した。月明かりにブナの木が照らされ、雪の上に影が映る。風もなく音もなく、青黒く映る影の上を踏みしめながら、ブナの樹林を潜り抜けていく。夜間雪中行軍の難しさは、周りの景色が視界に入らないことだ。ピンクテープの存在もまったくその役割を果たさない。中国自然歩道とGPSだけを頼りにしていけるような山ではない。足の裏に感じる地形と、幾度となく現れる小さな谷を渡渉するスキル、大休峠避難小屋の位置を地図上で見失わないよう現在地を同定する読図の経験が必要だ。今回、初めてのスキーツアーとなるYMが、この山行のパートナーになってくれた。スキーツアーは体力もさることながら、状況に応じた対応力が必要となる。慣れればなんてことないが、そうなるまでに何度しょっぱい雪を噛んだことか数えきれない。ルーティーンというか所作というかを、実践において何度も積み重ねて体得するしか方法はない。大谷を前にして、スプリットボードの彼は体力を消耗していた。大谷を登り始めたとき、急な斜度と藪を回避して上部から途中ツボ足に切り替えて大谷を上がった。ここからは、中国自然歩道に沿って避難小屋まで行くと簡単なのだが、大谷の直登でルートを外すと夜間は簡単に戻すことができない。上り下りを繰り返し、無駄に体力を消耗させるよりも、高度を落とさずトラバースして、野田の尾根まで進むのが賢明である。先ほどまで明るかった月の明かりは山に隠れ、闇夜に突き出る藪が行く手を阻む。小さな谷を何度も渡渉し香取を出発してから6時間半後の、23:30大休峠避難小屋に到着した。
雪が少ない分だけ藪が多く、YMに厳しい山を経験させてしまったようにも思ったが、真夜中の大山に対峙する彼の熱意が伝わり、とても嬉しかった。もっとスマートで、ファッショナブルで、花のある山行が数多くある中、真夜中に雪に埋もれて藪を漕ぐ今回の山行に付き合ってくれて感謝の気持ちしかない。雪で割った知多を酌み交わし、ホルモン鍋をつついた。雪を溶かして湯たんぽを作り、シュラフに入れたとたんに眠ってしまった。翌朝下山し、Tの墓前に近況の報告を行い手を合わせた。Tとの思い出の跡に、OOE、YM、ADA達や仲間との山の思い出がたくさんできてきた。MRの紹介で出合ったTGとの新しい試みも、たくさんの仲間の支援のおかげで、大きな事業へと成長していくと確信している。新しい自分たちの山を心から楽しみながら、お世話になった皆様方への感謝の気持ちは忘れず、大山にDATのトレースを刻んでいきたい。