DAT山行計画

DAT 4月山行計画案内

4月9日(月) 大山:矢筈谷or三鈷峰北東ルンぜMK OOE
 
4月14日(土) 大山:桃源郷キャンプ MK オープン参加

4月15日(日) 大山:春の恵みを感じる山行 MK オープン参加

4月23日(月) 大山:甲川(予定MK OOE


オープン参加の山行 4/15残雪の桃源郷 6/17甲川キャニオリング 8/14・15甲川キャンプ&沢登り 10/21紅葉の藪漕ぎ矢筈谷&キノコ観察 12/16 初冬期の雪の輝き大山一の沢








2017年12月21日木曜日

2017冬 大山:大の沢ラッセル

2017.12.18(月)
初冬期のフカフカした雪の季節には、大休峠や野田ケ山、大山北尾根や七合尾根のラッセル山行を経験してきたが、体力を消耗する長い山行になりきつい。楽しいのは、せいぜい行き始めた頃で、1,2回で飽きるという人もいるかもしれない。私は長いラッセルが苦手だ。このラッセルを外して、しかも、BCではないルートを選定するのには、いつも難儀する。この季節、ラッセルがなくて済むのは夏山登山道なのだが、人も多く登る気にならない。できればスキー場でリフトに乗って快適に過ごしたいと頭の片隅にあるのも事実だ。しかし、OOEやADA達、深い絆で繋がれた山仲間と一緒に過ごす時間に勝るものはないのである。ということで、体力に不安もあるが、逃れられないラッセルということならば、果敢に深雪に挑もうじゃないか!という意気込みで計画を立て、雪の柔らかく吹き溜まる大の沢に挑むことにした。積雪は膝上くらいでも、斜度が増すと腰まで埋まる。汗と解けた雪でザックまで濡れた。風の強い森林限界を超えると、ジャケットの内側も凍ってしまう。いつもよりも寒さを感じる雪だった。ガスで景色の見えない世界に虚しい努力を感じ、頬を叩く氷の痛みが、冷たさで鈍感になった。今回の山行はADAが久しぶりに同行してくれた。大山のラッセルは初めてのようで厳しい表情が続いた。ルームランナーを走るように変わらない景色を、牛歩のように歩み続けて6時間。高度はまだ1330mだった。体力に不安があり、停滞する時間が多かった為、先頭は指先にしびれを感じ、体も冷えていた。体温を上げるために登ると差が開き、登ってくるのを待つと体温が下がる。これを繰り返すと低体温症になり危険だ。山頂までは行きたいという気持ちは強かったが、提出した登山計画に2時間の遅れが生じていた。この雪質なら、メンバーの体力も限界も近いだろうと思った。久しぶりの撤退だった。安全に下山できる判断ができたことは良かったと思っている。しかし、大山においては、安易に撤退すべきではないとも思っている。そもそも、撤退するような登山計画を立てることが間違いであり、撤退ありきで山行を実施することは、もってのほかだと思っている。
不確定要素の高い所は、メンバーの技量をよく見つめて、チームの総合的な登山力に応じた計画が必要だ。個人山行においても同じで、自身の登山力に応じた山行計画を立てることが感じだと思う。登山力とは、計画と実践を繰り返して行う経験の積み重ねと言えるかもしれない。練りに練った登山計画に沿った山行を行うことができるようになると、安全に、新しいルートに挑むことができると思う。私たちも若くはなくなった。でもまだ、もう少しやれるとも思っている。登山計画を綿密に立て、モラルと強い自制の心をもって、大山に対峙してまいりたいと思っている。

2017冬 大山:私が想う冬の大山

 
12月初冬の大山南壁
12月17日に、大山避難小屋付近にて32歳の若い青年が遭難死したことに、心よりお悔みを申し上げたい。若く尊い命が失われたことが残念でならない。彼に助言する者が周りにいなかったのか、それとも、彼が素直に受け入れる心を持とうとしなかったのか。一言でも助言する者が居て、それを受け入れる心があれば、このようなケースの遭難は未然に防げていたと思う。コミュニケーションツールの発達によって、対話というコミュニケーションは衰退しているように思う。WEBに公開される情報は、都合よく切り取って自己解釈でき、遭難要素を自身の中で育んでいく。私は今回とは違う遭難者と、何度か遭遇したことがある。全員がWEBの情報を鵜呑みにし、また、誤解し、そして自分を過信している登山者ばかりだった。烏滸がましく思われて当然だが、WEB上での散乱した情報が、若い青年たちを遭難へと誘引しているように感じている。体力に自信があり、冒険心を抱く若者は、山岳会等に所属する経験者に直接指導を受け、対話と実践によって正しい経験を積み重ねてほしいと切に願う。今回の遭難死亡事故に至る原因は、危険な冬の大山に適さない装備で向かったことが、大きな原因の一つと考えられる。冬の大山がどのように危険なのか、その一例を述べたいと思う。大山の頂上台地は植生保護のため木道が設置されており、積雪期には木道と植生の境界が判断しにくい状態になる。ルートの案内板は厚い雪で覆われ役割を果たせない。避難小屋より約100m下がったところに分岐がある。大山の経験が浅い登山者は、登りの時、そこに分岐があることに気づくものは少ない。避難小屋から来た道を下山する時は、その分岐を右に行かねばならないが、誤って石室方面へまっすぐ進むと、遭難する危険が大きく増す。石室方面への木道は踏み外して落下すると、這い上がるのに苦労する。重いザックが邪魔をして、手をついても緩い雪に埋まり、体を起き上がらせるだけでも体力を消耗する。たとえるなら、体と同じ大きさの井戸に頭から落ち込み、そこから力づくで這い上がるような、そんな苦しさである。もがいて何とか這い上がり、2歩3歩進んで、また落下する。これを-10℃以下のホワイトアウトの中で何度も繰り返すと、だんだんと生きていく気力が失われてくる。体を休めるために停滞すると、汗が凍り体を急激に冷やす。体温が下がり体の動きが鈍くなる。指先は痺れるように感覚がなくなり握る手に力は入らない。腕の力も消耗して、自分の体を引き上げられなくなる。体が完全に動かなくることで、体温はますます低下し思考が停まりそうになる。つい30分前までは元気でそこにいたはずなのに、絶体絶命の絶望的なピンチの中に取り残されてしまう。そこから脱出し生きて帰るか、それとも尊い命を絶つのかは、知識と経験に基づく自身の登山力によって大きく変わる。ツェルトの中で暖をとる経験があれば、それを実践し助かるだろう。読図ができGPSで現在地を同定し帰路を定める経験があれば助かるだろう。木道から落ちても、ザックを外して足場を作り、空身で上がる経験があれば助かるだろう。山の怖さは突然やってくる。山の掟を無視する者にも守るものにも、牙をむき壮絶な自然の力でもって命を奪いにくる。これが冬の大山の日常なのだ。彼が、このことを知っていて尚、軽装で大山に挑んだとしても、私は彼を非難する気にならない。暖かい所で安らかに眠っていただきたいと、ただ、心から祈る。本意ではないかもしれないが、これから大山に挑もうとする登山者への大きな教訓となったことは間違いない。彼の無念さを自分の魂に溶かし込み、モラルと強い自制の心をもって大山と対峙してまいりたいと思う。